
2025.04.26
33m 56s
新しいドラムとは、何を意味するのか。
「ドラム」が楽器や音色という実体を意味するなら、「新しい」は、再出発する少年のような気配だ。このアルバムを聴くと、ときどき脆さや迷いを捉えるが、それはとても誠実に表されている。この新しいドラムは、ありのままの感情を共鳴胴としている。叩くたびに、まだ消えない過去の音の痕跡と、明日へ落ちていく余韻を伴う。
1曲目は「Scarlet」。ジャケットと同じ緋色だ。主張の強い赤のなかでも、緋色はより抑制された赤である。ドラムはシンプルで安定し、シンセサイザーが底流のようにうねる一方、ドラムとベースはミックスの中で極めて前面に押し出されており、熱烈というよりは、むしろ今にも動き出そうとする、力を蓄えた状態に近い。ストリングスが入ってくる瞬間、サイケデリックで温かな音の壁に、My Bloody Valentineの「when you sleep」を思い出す。シューゲイザーから受け継いだこの力は、澄んだビートに潜み、アルバムの緋色の幕を開ける。
「OVERSLEPT」という題名は過去形だが、曲が表すのは「寝過ごしてしまったこと」ではなく、自ら選ぶ逃避だ。先に発表されたシングル版に比べ、アルバム版ではミクの声がより低く沈み、夢と目覚めの間を漂っているようだ。ノイズはその裏側に潜む。
「新しい世界が始まったりしたら / わたしはどこに行くんだろう?」どうせ現実に答えは見つからないが、新世界の空想はむしろ喜びを増していく。後半では「overslept」が繰り返され、「レ」と「プ」の音節が短く隠れ、少し「overset」のようにも聞こえる。このすべてを倒し、覆す空想こそが、強い前進感のドラムを踏み、ますます勢いよく叩かれながら、最後まで続くのかもしれない。
「Timber?」では、空気が少し落ち着く。「Timber」は木材を意味し、伐採時の警告の叫びでもある。ただ、タイトルに添えられた疑問符は、今にも倒れそうなこの木に、答えの出ない問いを残す。繰り返される歌詞「僕は待つ」は、木がついに切り倒される瞬間を待っているのかもしれない。この曲全体を通して、最も重要な支えとなっているのはベースだ。豊かな音色で奏でるリフは、時間の中をゆっくり転がる丸太のように、重さを持ちながら、惰性を失わず前へ進む。細かなドラムの音と、左右に交差するギターがその周りを取り囲み、木が倒れる前のためらいがちな雑音を思わせる。
今、人気のある感情豊かなMath-emoとは違い、この曲には、より初期のマスロックの形がある。ギター、ベース、声が歯車のように交差してかみ合い、スネアも通常の安定したリズムを刻まず、四小節ごとの最後の四分音符の位置で鳴る。この不規則な配置に加え、音楽の動的な推進力と、静止したまま待つこととの対照もある。退屈な繰り返しのようであり、永遠に来ない誰かを待っているようでもある。
転がり、回りながら、「巡々って」は小さな歯車の音のサンプルとともに始まる。最初の一音から、朝、目を覚ましたばかりのような心地よさがある。とりわけドラムの音は歯切れがよく、軽い。まるでヘッドを新品に張り替えたばかりのようだ(実際、この曲はアルバム中で最も早く発表されたシングルで、2022年のシングル版と比べると、アルバムのリミックス版ではドラムの音色が大きく変わったことが聴き取れる)。日が差し込み、ギターが軽く跳ねる。目立とうとはせず、風のようにそっと通り過ぎる。長い夜を経て目覚めたとき、日差しはこんなにも優しく、風はこんなにもすがすがしい。
「Quiz!」と「Sp2」では、「新世界」に足を踏み入れた後の、奇妙な光景が現れるようだ。「Quiz!」では、ファンクのリズムを刻むギターが気分を高める。ただ、コード進行は冷ややかなままで、足立レイも冷たく歌い、曲にかすかな機械らしさを与える。中盤に入ると、エレキギターの作る大量のノイズが一気に流れ出す。歌詞に出てくる「シスター·レイ」(Sister Ray)は、The Velvet Undergroundの同名曲へのオマージュであり、このノイズの着想源を直接示してもいる。この作りによって、VOCALOID Alternative(ボカロオルタナティブ)祭に参加した曲が、オルタナティブロックの元来の系譜に近づく。と同時に、新世界の美しさのほかにある、不穏な危険や刺激を暗示しているようでもある。
続く「Sp2」もファンクの気質を引き継ぐが、編曲の考え方はより電子音楽に近い。ギター、ベース、ドラムが土台となり、同じ部分を繰り返す。その中へ、ときおりシンセサイザーの音が漂い込み、SFらしさや幻惑的な感覚を増していく。この冷たくも躍動するエレクトロニックロックの気質には、Buffalo Daughterを思わせるものがある。曲が進むにつれて、音楽は次第に豊かに、変化に富み、騒がしくなる。世界はぐるぐる回り、聴き手も幻惑的なパレードに巻き込まれていく。
次の「閃く」では、ドラムのビートがさらに跳びはね、不規則になり、捉えにくくなる。少し体が浮くような感覚が生まれる。それは不確かで、安全ともいえない感覚だ。曲はただ、かすかに明滅し、あるかないかの糸をたどって、私たちを物語の終わりへゆっくり導く。
物語の終わりは「Spring」だ。私にとって、ここでの「春」は、春が始まったばかりの時期を指す。氷雪はまだ溶けず、万物もまだ目覚めていない。冬の冷たい空気を残しながら、春の寝ぼけまなこの温かな光を浴びている。この結末には、強い感情の放出がない。少し拍子抜けするような、開かれた終わり方で、ただ「今は春だ」と伝える。春ほど二面性を持つ季節はない。一方には、生き生きとした再生があり、もう一方には、その再生の残酷な代償がある。「春夏秋冬、生老病死」という循環の残酷な代償だ。春は、失われるものと生まれるものの両方を引き受ける。来年がよくなるかどうかは、誰にもわからない。アルバムが終わりに近づいた頃、Lo-fiの質感を強く持つドラムが、一打、また一打と鳴る。過去から届く音のようで、規則正しく、ゆっくりと続き、叩いているうちに、再びこちらへ歩いてくるようにも思える。
答えのない、この開かれた結末こそ、ツンベルク管の今の考えなのかもしれない。彼は自分の感情を率直に見せ、新しいドラムも、一打ごとに残る震えを隠さない。澄んだ音でも、こもった音でも、それは今この瞬間の、本当の響きだ。次の一拍がどこに落ちるかって? まあ、暮らしとはそんなものかもしれない。未来のことなんて、誰にわかるだろう。