文:苦以忧

2025-08-30
今回、きくおが目を向けたのは、もっと身近な地域、日本の南にある琉球諸島だ。琉球音階にも、それを土台にした音楽にも温かみがある。一方、三線の音には、歯切れのよい響きと、しなやかな粘り強さがある。三線は、中国の伝統楽器である三弦が沖縄に伝わって変化したものだ。そこからさらに日本本土へ伝わり、三味線になった。その三味線とはまた違う響きなので、この曲を「和風」という観点から評価するのは、適切ではないと思う。
きくおは、純粋な沖縄民謡をつくろうとしているわけではない。冒頭30秒ほどのお祭りの気配は、tresilloのリズムのドラムとやや重いパッドが、順に加わるにつれ、次第に覆い隠されていく。やがて、灯りもよく見えないほど薄暗い雨の日が姿を現す。この風景では、明るく跳ねる声と憂いに沈んで嘆く声が絡み合い、狂おしい三線と重いドラム、雨の音が交錯する。異なる響きは、時に対抗し、時に一つとなって、奇妙な構造をつくる。崖の縁に立ちながら、不思議な安定を保っているようで、矛盾して見えても調和している。
沖縄音楽の三線に触れたが、その前身である三弦は、蘇州評弾の重要な要素でもある。蘇州評弾の小飛調を聴いたとき、三弦の絶妙なリズムに驚かされた。このリズムは現代のポップスとは異なる原理に基づいているが、調和できないわけではない。『天つ水のメノコ』では、こうした楽器をポップスに融合させる試みが伺える。それは音色を一つ加えただけの強引な当てはめではなく、きくお本人の個性も失っていない。音楽評論家のつやちゃんは少し前に「ポストジャンルの時代」に触れていた。ジャンルの特徴が広く交流するなかで、今後は「ジャンル」という区分自体がさらに曖昧になるかもしれない。私にとってきくおは、まさにそうした境界を破るアーティストだ。「本場の民族音楽」や、何か特定のジャンルをつくりたいのではなく、ただ、必要とする音や雰囲気を自由に借りて、自分の音楽に生かす。きくおの音楽は、世界から得て、世界へと向かう。