無為主義者の幽尋

翻訳・校閲宵夜Mpa苦以忧ChatGPT

推薦者:苦以忧

無為主義者の幽境探訪 EP ジャケット

2025.12.27
29m 10s

ボカロPとしてのTN163は、2025年に二枚のEPを相次いで発表した。5月のデビュー作は『极简主义者的茶歇(極簡主義者の茶歇)』、12月は『无为主义者的寻幽(無為主義者の幽尋)』である。前者は全体としてジャズの形式で奏でるアンビエントで、バーチャルシンガーが歌う曲はない。後者は、よりしなやかで自由なnu jazzを示し、「環境の静けさ」から「心の静けさ」へ至る道を開いている。

『无为主义者的寻幽(無為主義者の幽尋)』の表題曲の冒頭で、サックスとベースが桃源郷へと導く。狭い入口を抜けると光が差し、視界が一気に開ける。星尘Infinityが読む『桃花源记(桃花源記)』の一節は、QUOTE15ぱっと視界が開けるで止まり、余白を残す。すべてはすでに音楽へ溶け込み、聴き手の自由な想像に委ねられているからだ。ベースは流れる水、繰り返すチェレスタは水面に反射する日差し。コンガは畑仕事をする村人、ドラムの面を優しく滑るブラシは庭の掃除、キックの連打は鶏を絞めて宴を設ける音……。これらの要素が絡み合い、複雑でも秩序を保って、桃源郷の理想の風景をともに描く。

旅を終えると、遠い物語の結末が明かされる。桃源郷は伝説のように見つからず、後の人々がその跡を探しても、誰もたどり着けずに帰る。その理由に、二曲目「东篱下(东籬の下(もと))」の語りが答える。QUOTE16私たちは、もっと珍しく、もっと楽しい場所を想像することに慣れている。桃源郷が実在しないからこそ、人々はその跡を見つけられないのかもしれない。一方、想像の中にしかないからこそ、それぞれ異なる、実感を伴う思いを映し出せるのだ。

「东篱下(东籬の下(もと))」の土台となるボサノヴァは、ブラジル生まれだ。地球上で、中国から最も遠い場所の一つである。この曲では、その遠い熱帯のグルーヴに中国の洞簫が絡み、洛天依による『瓦尔登湖(森の生活(ウォールデン))』の一節の生き生きとした朗読が重なる。もともとは異なる時代や場所に属していた要素が、巧みに溶け合う。想像の垣根が崩れ、音楽に浸るうちに、私たちはそれぞれの心の奥にあるウォールデン湖へ、すでにたどり着いているように感じる。

続く「咏以归(詠じて帰る)」は、よりエレクトロニック・ダンス・ミュージックに近い気配を持つ。だが、細かなシンバルや、時空を行き来するようなシンセサイザーサイザーの効果音の先で、私たちを迎えるのは、やはり味わい深いアコースティックなジャズドラムだ。宮舞モカの歌にはソウルの香りが濃く、サックスのソロや電子的なサンプルと響き合い、独特の味わいを生んでいる。

次の「西子湖」は、アルバムで唯一、一曲を通した歌の旋律を持つ曲だ。伝統的な詩文を借りて幽境を探るそれまでの曲とは違い、視点を近くへ寄せ、今、目に見えるものに焦点を当てる。TN163はこの曲に、日々の暮らしの断片を取り入れている。一見、達観したような姿勢は、アルバム前半の静かな気質によく合う。ただ、曲の前半にある声、ピアノ、ドラムの、少しずれたリズムが、現実の慌ただしさや、余裕のなさをそっと見せる。音楽には、いつも二つの力がせめぎ合っている。静けさを求める願いと、せわしなく、妥協の余地を与えない現実だ。そのため、QUOTE17舟に乗れば仙人という超然とした心持ちに執着するほど、私たちはかえって、そこから遠ざかってしまう。

当初、TN163は「西子湖」を正式な収録曲にするつもりではなかったようだ。だが私には、この曲こそEP全体の「眼」となったように思える。伝統的な文人の、おおらかで開けた心境へ、ただ向かっていくわけではない。むしろ、葛藤を抱え、身動きの取れない姿のまま、ここに置かれている。対立する二つのあり方の間に強い緊張を生むと同時に、今を生きる人々、現実の聴き手へ、「幽境を探る」とは何かを問いかけるのだ。曲の中の西湖は、一人の暮らしの縮図でもある。外の世界がどう変わっても、自らは揺るがない存在だが、孤立してあるわけではない。関わるすべての人や物事によって成り立っている。一人一人が西湖に見るものは、結局、自分の暮らしや心持ちの映し絵なのだ。

その後の『袭春服(春服を纏う)』と『南山。』は、音楽の面で自己と自由への回帰を果たす。『袭春服(春服を纏う)』は投稿曲『北窗眠(北窓に眠る)』に語りを加え、マスロックのような非対称の拍子が全編を貫く。ただ、このグルーヴは意図的な設計ではなく、創作者が鍵盤で即興するなかでテクスチュアが自然に育ち、後から分析して整えたものだ。複雑な拍子は、足枷をつけた踊り手のように曲を見せるが、感じ取る空間を狭めはしない。目を閉じて聴けば束縛は消え、純粋な自由だけが残る。ピアノが一瞬拍を引きずり、止まるときも、余韻は長い。『南山。』はアルバムの感情の頂点で、ピアノの跳躍と流動性が共存する。繰り返す主旋律のなかで感情は抑えられながら、喜びを底に流し、音楽と人が一つになる境地へ至る。

『极简主义者的茶歇(極簡主義者の茶歇)』のミニマルな空気感に比べ、『无为主义者的寻幽(無為主義者の幽尋)』の音楽の構造は、より複雑で充実している。入り交じる要素は多くても、雑然とはしていない。より自由な姿で、暮らしの中の自然のさまざまな相を見せる。また、曲順そのものが、「自然の奥深い静けさ」から「心の奥深い静けさ」へと進む動きを描いているようだ。音楽の形と、思想的なコンセプトの両方に、流動性を与えている。

TN163は、記号化された「中国風」の枠に自分を閉じ込めてはいない。素朴でありながら意味の豊かなコンセプトによって、中国の文人の精神を、現代の一つの側面から描いている。ニュージャズを土台に、「幽境を探ること」をめぐる多面的な理解を広げる。伝統的な文人の精神に、現代的で生命力に満ちた解釈を与えたことで、『无为主义者的寻幽(無為主義者の幽尋)』には、「大隠は市に隠る」という、現代にも通じる余韻が漂う。