合成音声アルバムを一枚、海の向こうへ持っていく

翻訳・校閲9maChatGPT

執筆:9ma

Chapter. 1 居場所を探す

年が明ける前、NCMRさんから連絡が来た。私たちのM3への出展申請が通ったという。出展は、ずいぶん前から考えていた。当時、NCMRさんはまだ北海道で博士課程に取り組んでいたが、いまは仕事の異動を経て生活も落ち着き、首都圏で出展できるようになった。そこで、いよいよ参加に向けて動き出した。

2024年、初めてDizzyMart(DM)に参加したとき、同人音楽を中心にした即売会がこの世界にあると、初めて知った。あのときは、ほとんど何も準備できず、自分のスペースの申し込みにさえ間に合わなかった。にぎやかな会場では、別の話題も聞こえてきた。「ついに中国にもM3ができた!」。海の向こうに、そんな先駆者がいることを知ったのは、そのときだった。

会場を後にし、呼蘭路から地下鉄1号線で南へ、宿へ戻りながら、M3の情報を調べた。二十数年前、都心の建物の2階にある、わずか320平方メートルの貸し会場に、4時間のあいだ、六十ほどのサークルやレーベルがひしめいていたという。当時、売られていたのはまだカセットテープで、自分で焼いたCDさえ少なかった。「合成音声」も、ほとんど存在しない時代だ。

1998年、第1回が開かれた春の後、M3はTRC展示場へ移り、それからは、ほぼずっとこの場所で開催されてきた。初めてDMに参加した年の春、私はちょうど、渋谷のSynchronicityという音楽フェスを見に行っていた。大興空港から中国南方航空で羽田へ往復した。「TRCって、羽田からモノレールで北へ向かう途中に通る、あそこだろうか」。ぼんやりと、記憶があった。

幾重もの海の先にある景色は、記憶にはあるのに、測りようのない距離を保っているようだった。数週間前、渋谷のライブハウスで、鬼否が異国の舞台に立つのを見た。言葉のやり取りは滑らかではなくても、音楽は確かに海を越えていた。新大久保では、部屋の鍵をフロントで受け取るほど古いホテルで、半理性音乐、つまり大七乐团の何人かが、渋谷の屋上から配信するのを聴いた。二日間に見聞きしたことを、興奮して語っていた。トークはあまり聞き取れなかった、と笑う。でも、音楽がわからない人はいなかった!ひと月の見聞が、身体のなかを流れていた。喜びは、音楽によって生まれるつながりから来る。私が支え、作りたいのは、測れない距離を、つながる一本の線へ変える、こうした音楽なのだ。

2022年9月に、ボカロ音楽を紹介する個人メディア「想被听到」を立ち上げたときから、目的は、いつもと違う音を書くクリエイターを結び、音楽と、そのなかにある勇気や誠実さを、一冊に集めることだった。それから、ほぼ二年が過ぎていた。私は、この願いを実現する方法を、ずっと探していた。歌声合成の独立した音楽のアルバムを作るには、何をすべきか。どんな問題があり、どんな準備が要るのか。ほとんど何も知らないところから、少しずつ理解し、知識と経験を一から蓄えた。同時に、こうした声やエネルギーを育て、こうした活動を支える空間も作ろうとしていた。

私は、この声と、このクリエイターたちのために、居場所を探したかった。もちろん、自分の声と、自分自身のためにも。

続く一年、みんなの協力で、『虚拟之声(仮想声)』というアルバムを、二枚作った。少しずつ、「私たち」の居場所が現れた。それでも、この声を、さらに先へ運びたかった。仕組みのうえでは届きにくい場所、幾重もの隔たりの向こうに隠れた場所へ。そして、隔たりの先にある世界も、この目で見たかった。

海の向こうへ行こう――どこでもいい、居場所を探しに。

図1

『虚拟之声Vol.1(仮想声 Vol.1)』『虚拟之声Vol.2(仮想声 Vol.2)』
日本語版のパッケージ写真
(日本版の題名は『仮想声』)

Chapter. 2 糸を織る

『虚拟之声(仮想声)』は、この土地から生まれる独立した声に焦点を当てた企画だ。別の土地に向けて作ったものではない。クリエイターを誘い始めたときから、ここで異彩を放つだけでなく、この土地の特徴を豊かに持ち、ここから育った音楽を集めたかった。いまの二枚、6人のクリエイターによる12曲は、ほかでは簡単に聴けない音だと、自信を持っている。背景が多様でないわけではない。母語で書かれた曲ばかりでもない。それでも、この土地独自の視点、表現、作風、姿勢が、確かに凝縮されている。

ただ、世界の視野に入り、「汎アジア」という枠に置かれたとき、この土地の個性は、どう伝えればよいのだろう。

もっとも基本となる仕事は、ローカライズだった。12月、知り合いの日本語翻訳者、虐酱(虐ちゃん)さんに連絡し、アルバム全体を訳してもらった。とくに力を入れたのは、余分な情報をあまり足さず、原文を尊重しながら、韻律と繊細な感情も残す歌詞の翻訳だ。そのために、いろいろと検討を重ねた。歌詞だけでなく、ミュージシャンの紹介やインタビューも、日本語で読めるようにする必要があった。中国語と日本語では、歌詞の組み立て方が違う。意味と構造の両方で対応する訳を作るため、虐酱(虐ちゃん)さんは多くの手間をかけてくれた。たとえば、第2集の4曲目、河中子申の「冰柜(冷蔵庫)」の終わりにある、QUOTE44君は支配してる / たった優しさを / たった優しさで / 掌に / たった暖かさだという、連なり、重なる言葉である。

聴く体験も大切だ。聴き手が訳と原文を対応させやすいように、一部の歌詞には、節の区切りも記した。そうすれば、音楽の言葉が、理解の助けになってくれる。

図2

『虚拟之声(仮想声)』の歌詞ブックレットの写真。

文字どおりの意味がわかるだけでは足りない。アルバムを受け取った人に、文化的な背景も知ってほしかった。Vol.2 の6曲目、合目の「陪着我(そばにいて)」は、親が出稼ぎに出て、故郷に残された子どもを歌う曲だ。歌詞ブックレットには、この問題の概要と現状を、短い説明で添えた。インタビューでMaho5xが話したサイゼリヤのメニューの違い、河中子申の話に出てくるマクドナルドの「1+1」セット、「合目」という名前から生まれる視力に関する疑問にも、説明を加えた。

実は、今回持っていくのは『虚拟之声(仮想声)』だけではなかった。友人にも声をかけ、それぞれのアルバムを海の向こうで紹介することにした。「紹介する」とは、ただ、とりあえず持っていって売ってみることではない。どうすれば、作品を知ってもらえるだろう。これらのアルバムで、海の向こうの聴き手にレビューされていたのは、神遛儿の作品だけだった。以前からBandcampに公開されていたため、『ボーカロイド文化の現在地 海外特集号』で取り上げられていた。音楽を聴き、手に入れやすくするため、EchoBottleのBandcamp、YouTube、Xなど、海外向けのアカウントを開き、少しずつ運営も始めた。みんなにアップロードや発信をお願いする一方、各クリエイターには、自分のアルバムのレビューも用意してもらった。友人の苦以忧にはライナーノーツを書いてもらい、それをもとにフライヤーも作った。アルバムの紹介であると同時に、一人ずつ説明する代わりに、会場で手渡せる資料にもなる。

Chapter. 3 ロープウェーで海を渡る

この季節に海を渡ると、見える波も、見えない波も、鮮やかに立っていた。

年明けの休暇から北京へ戻り、2月25日、ようやく旅程を決めようと思った。北京・東京間のJAL便が、こんなに安いのは見たことがなかった。往復で約2,000元、前方の席でも3,800元ほどだ。ずっと中国の航空会社を選んできた私が、初めてJALに乗る理由が、費用対効果になるとは。ただ、ある意味では、両国を結ぶ便が、こんなに不自然に安くないほうがよかった。

数日後、戦争の知らせが届いた。命が失われ、混乱が次々と浮かび上がる。原油価格が急騰し、航空業界も影響を受けた。欧州に留学している幼なじみは、前もってチケットを買っていなければ、オランダの学校へ戻るのに、よい便がなかったと言った。世界が揺れると、誰もが危険に耐える力を失い、緊張し、不安になりやすくなる。海外旅行や国境を越えるつながりには、海の雲や霧がまとわりつく。水面すれすれを飛び、レーダーの海面の雑音に身を隠して、目立たずにいたいと願うなら、湿気でエンジンを詰まらせる危険も、引き受けなければならない。

もともと聞き取りと読解の練習に見ていたニュースが、いまは、一人ではどうにもできない変数を、一日中伝えていた。ビザもホテルも、できるだけ後まで手配を延ばすしかなかった。不安定なのに、綱に引かれて進むこの感じは、子どものころから目にしていた華山の長空桟道を思わせた。ただ、現実でぴったり重なるものを見つけたのは、4月の第2週の週末だった。友人に誘われ、気晴らしに秦皇島へ行ったとき、仙螺島の観光地で、陸から人工島へ続く、長い海上ロープウェーを見たのだ。

図3

仙螺島のロープウェーからの景色。

背もたれのある椅子が一つ。前には安全バーしかない。道筋は決まっているが、ときには予告もなく止まる。急に揺れることはなくても、足もとでは、確かに海が騒いでいる。曇り空は白く、霧はないのに、視界はずっと少し限られていた。風が来る。風が、次々に吹いてくる。夕日が空気に溶け、冷えた空気は、シリコンで覆った料理用トングのように、身体から何かをつまみ取ろうとする。その感覚は、あまりにも確かだった。

この景色を、今回、アルバムが海を渡るための試聴映像にした。

その間も、NCMRさんはM3の手順に沿って、準備を進めてくれていた。日本側での連絡を相談し、私も中国で、商品などの準備をする必要があった。『虚拟之声(仮想声)』国際版、委託販売するアルバム、既刊『PaxProtej』、新刊『kairo II』などを送らなければならない。2月20日、輸送経路を試すため、まず『PaxProtej』を梱包して送ると、数日で無事、NCMRさんの家に届いた。届いた様子を見て、その後は梱包を調整した。ところが、2度目は清明節の休暇に重なり、数日遅れた。幸か不幸か、運送会社から、後の2回分の送料にほぼ相当するクーポンが、補償として届いた。それでも、発送自体が心配の種になった。

図4

NCMRさんの家に届いたアルバムの箱。

国際配送には、やはり変数が多い。危険を減らすため、どのアルバムも一枚は、自分のスーツケースで持っていけるよう残した。荷物がすべて届かなくても、必ず出展できるようにするためだ。発送も、数量に応じて何回かに分けた。

情勢と旅程を見ながら、ビザを申請したのは4月初めになった。そこで初めて、中国の旅行会社に身元保証書、つまり旅行会社が旅行者の渡航を保証する書類を提供していた、日本側の半官的な観光振興機関も、昨年末から「サービス終了」を発表していたと知った。中国の旅行会社は、それぞれ別の経路を探すしかなく、ビザの手数料も上がった。今年の桜の季節は、少し長かった。だが、私にはもう、観光客として日本へ行く気分はなかった。Agoda、Booking、携程を、必死に更新し続けた。ちょうど運がよかったのか、観光の繁忙期の終わりに、空港から電車で15分の京急蒲田駅の近くに、小さなホテルが取れた。3日分で合計1,100元。バスルームは、部屋とほぼ同じ広さだった。都で暮らすのは楽ではない。こちらでも、あちらでも、変わらない。

私は長年、防災のため、また世界の変動をすぐ知るために、国内外の地震を知らせるソフトをパソコンに入れている。出発の数日前、警報が鳴り、日本の本州北東の海、三陸沖で、リヒタースケール7を超える大地震が起きた。大地の揺れに合わせ、心の不安も揺れ続けた。帰国後すぐ、仕事の完了報告があり、その少し後には、博士研究の計画審査が控えている。15年前のように、これが巨大地震の前震にすぎないなら、旅にはまた、予想外の変数が増えるだろう。

鉄のロープウェーが風に揺れ、私はまだ、出発地点の滑車の下に立っていた。海の向こうからNCMRさんが連絡をくれた。無理はしなくていい、決まったことは、自分が何とか引き受ける、という趣旨だった。でも、友人一人に、簡単に任せたくはなかった。あと二、三日、よほど思いがけない困難な知らせがなければ、目の前に止まった、その椅子に乗ろう。果てしない海の向こうへ渡ろう、と私は思った。

Chapter. 4 風

4月24日、金曜の昼。首都空港へ向かうタクシーに乗った。道中、なぜいま日本へ行くのかと聞かれ、話の向きに緊張を感じて、出張なのだと答えた。運転手は、着いて温かいものを食べられるかと、心配してくれた。「出張なら、降りたら同僚が、ごちそうに連れていってくれるんだろう?」。どこかかみ合わない空気のなか、保安検査の入口で旅行保険も買い、ようやく出発の準備が整った。結局、この旅には初めから、出発はするが、必ずしも着かなくてもいい、という入り交じった感覚があった。気楽なのではない。変数が多すぎたのだ。こんなときは、一歩ずつ完全に計画するより、いろいろなことに備えて代案を用意し、危険を和らげるほうが、ずっと大切だった。

スーツケースのアルバムは、無事に税関を通った。NCMRさんに渡す小さなスタンドも、注文した印刷入りの薄布がなかなか届かず、北京で急いで特注し、即日配送してもらったスペース用の横断幕も、一緒だ。B787に乗るのは初めてだった。天気はよくなく、ひどく揺れた。窓の外には、ときどき広い海が見えたが、多くの時間は、雲の海ばかりだった。

そのとき、友人から連絡が来た。「YUKUE Recordsのアカウントが、前に出した『虚拟之声』の紹介をリポストして、会いに来るって言ってる!」

歌声合成の独立した音楽のコンピレーションを作る考えは、早くからあった。でも、本当に実現しなければ、と思わせてくれたのは、駱駝法師(Camelots)らのクリエイターが主催した『合成音声のゆくえ』だった。このアルバムから、その後、YUKUE Recordsというレーベルも育った。『虚拟之声(仮想声)』が生まれた経緯を伝えるため、私は事前に、Xで長文を何回かに分けて公開していた。すでに日本のボカロPや音楽評論家にも目を留めてもらっていたので、駱駝法師さんにも届いたのかもしれない。夕食を二、三口で平らげ、急いで返事を書き始めた。自分で訳したが、長文なので失礼がないか心配で、日本語を専攻する友人に確認を頼んだ。

それまでは、よくこう思っていた。こちら側の多くのクリエイターは、自分の音が海を渡る前に、まず海の向こうの音を受け取っている。でも、反対側でも、海を隔てた声を聴くのは、新鮮なことらしかった。実体のない「声」を携えて海を渡っている。そのことが、突然の出会いによって、激しく揺れる飛行機のなかで、初めて実感になった。機内のネットは、遅いうえに切れがちだった。有料で使おうとしても、うまくいかない。1時間ごとに端末を変え、無料接続を申し込むしかなかった。強い風に吹かれながら、ようやく「会場で会いましょう」と伝えられた。

Chapter. 5 交差

雲が厚く、左の窓側の席でも、富士山は見えなかった。降りて、荷物を受け取り、大きなスーツケースを税関に通し、電車に乗る。窓の外は揺れ、幾層にも重なる夕方の空から、入り組んだ高架橋が伸びていた。その夜、会場で配るチラシの文面を直し、NCMRさんに先に印刷してもらった。苦以忧には、持参したすべてのアルバムについて、現場で紹介できる一言の説明を書いてもらい、一部はXにも載せた。

Xに加えて、この旅のもう一つの「Cross」も大切だった。M3のある週末は、幕張メッセで「ニコニコ超会議」も、二日間にわたって開かれる。二つの日程は、ほぼ毎年重なる。中国でいえば、2025年のメーデー休暇の広州で、Dizzymart'02と蛍火虫のアニメイベントが重なったようなものだ。あるいは、2026年、台風バービーが近づいた上海で、浪洄集市とBiliBiliWorldが同時に開かれたときのように。ニコニコ超会議は、BiliBiliWorldと同じく、多数の展示や出展、テーマ企画のほか、「クリエイタークロス」という同人エリアも持つ。さらに、Vocaloidオンリーの同人即売会「THE VOC@LOiD M@STER」も、同じ会場で開かれる。

土日はクリエイタークロスとTHE VOC@LOiD M@STER、日曜はさらにM3。合成音声のクリエイターには、どう出展するかが問題になる。回るべき場所が多すぎるのだ!片方に落選したら、友人と柔軟に合体参加や委託を調整できるのが一番だが、無理なら、一方に集中するしかない。私の短い週末も、さらに忙しくなった。せっかく日本へ出展するのだから、できるだけ多様なクリエイターや音楽、その育つ環境を見て、つながり、話したい。歩く道のりも、何倍にも増えた。

図5

THE VOC@LOiD M@STERの会場。

そんななか、土曜の早朝、セブンイレブンで引き換えた超会議のチケットを握り、ずいぶん遠回りして会場に着くと、歌声合成の広がりに驚いた。関連する即売会が三つあっても、すべての声を収められないわけだ。中国のボカロオンリーや、総合同人イベントのボカロエリアと比べ、THE VOC@LOiD M@STERは音楽CDと同人誌が中心なので、ほとんどどのスペースにもアルバムがある。クリエイタークロスの出展者も合わせると、歌声合成関連の音楽スペースは百以上。下調べなしには、とても回りきれない。まず『蛙円盤』『合成音声音楽の世界』の方々を訪ね、少し話した。それから、海を越えて出展していた苍子(AzureHead)さんに、出発前に家で焼いたクッキーを差し入れた。後は、目印をたどり、友人と会場を回る時間だ。そのなかで、次のような環境の違いを、はっきり感じた。

  1. 出展するクリエイターが多いので、会場での展示以上に、事前の告知が大切になる。訪ねてくる人は、前もって調べ、目当てを決めていることが多い。主催側も、訪ねたいスペースを記録できるチェックリストの道具を用意している。そのためか、会場で試聴できるのは、当たり前ではない。試聴用のQRコードなどを用意しないスペースも多かった。期待されることが違うため、現場のやり取りは、回数は少なくても、深くなりやすい。その一方で、新しい出会いは生まれにくい。中国では、アルバムを中心に展示しているだけで、「すごい!」と言われることさえある。密度がもたらす違いが、よくわかる。

  2. とくに都市圏では、ライブ企画から生まれる音楽や、音楽に伴うライブも珍しくない。一方、中国では、歌声合成関連のDJライブや実演はまだ新しく、広く二次元文化を扱うイベントの一部として開かれることが多い。日本の活動では、とくに二つのことに触れたい。クリエイターだけでなく、苔氏のような音楽評論家も、Vocaloid CrossingなどでDJをし、曲を紹介している。また、活動はネットにも広がっている。二錠や駱駝法師たちが参加する、VRChat上の「(dis)joint.」などだ。Vocaloid文化は、生まれながらに複数のメディアを使い、それを横断する文化であり、つながり方そのものも変化している。

  3. アルバムの生産数は、比較的少ない。中国の聴き手が名盤として語るものでも、小ロットで作り、売っているようだ。工場を使わず、クリエイターが自分でCDを焼く例も、珍しくない。創作と聴取の釣り合う「規模」は、海の両側で、まったく違う。そのため、歌声合成のアルバムを作る意味も変わる。今回の会期中、制作費と価格が、Xで話題になった。海外では、生産費が中国の3倍以上もかかるが、価格は高くしすぎられない。流通番号を取らなくても、必要な手続きは少なくない。そして、軽工業の構造が違うためか、関連グッズも、中国ほど多彩ではない。こうした条件が重なり、自作をアルバムにまとめて生産するのは、収支を合わせにくい仕事になる。

  4. 中国では、同人グッズを作り、無料配布物として交換する文化がある。それに比べ、こちらでは、クリエイターと聴き手のあいだでも、クリエイター同士でも、より一般的な名刺交換をする。自分の技能、おおよその経歴、受けられる依頼などを伝えるのだ。前もって名刺を作らなかった私は、翌日のM3で、ずいぶん受け身になった。同じサブカルチャーにいても、環境によって、自分の立場の捉え方が変わると感じた。

ほかの企画を楽しむ時間は、もうなかった!友人と、ぎっしりアルバムを入れた袋を持ち、タクシーで都心へ戻った。

Chapter. 6 M3

出展する日曜の朝、早く目が覚めた。というより、ほとんど眠れなかった。最後の出展道具を詰めた小箱を抱え、ホテルの隣のローソンの駐車場でNCMRさんと合流した。乗るのは、歴戦の結月ゆかりの痛車。M3の会場、東京流通センターへ向かう。車がなければ、出展は遠い旅になっただろう。この日の東京モノレールは、早朝から急ぐ来場者と、早起きせざるをえない出展者の、大きな袋やスーツケースで、すし詰めだった。約1,500スペース、展示棟二つを使う、同規模の中国のイベントとは違い、公共交通に特別な輸送体制はなかった。モノレールの運営側は、快速が流通センター駅を通過すると、事前にわざわざ案内していた。それでも、予想どおりの混雑で、結局、臨時便を出し、停車駅を増やすことになった。それに対して、57回目のM3は、すべて予定どおりに進んでいた。

M3の出展者証は、スペース番号や名前を印刷したリストバンドだ。出展案内の冊子に添え、1、2か月前に代表者の住所へ送られる。二十数ページの案内には、イベントの紹介、出展の手順、管理の情報が、ほぼすべて入っている。ポスターの展示、ネットと会場で同時に配信する出展者紹介、実演、映像上映など、関連企画の予定も網羅している。内容は複雑で細かく、参加者のなかに、問題なく読みこなせる人がいなければ、出展は間違いなく、つまずきながらになる。試聴や展示の決まりも、中国の常識とは違うところがあった。

キャンプ用のワゴンを引き、駐車場の連絡通路を渡って、自分たちのスペースに着いた。出展者の入場は朝9時から。名目上は1時間の設営の後、最後の30分が確認の時間になる。スタッフやボランティアが各スペースを回り、出展者の受付をする。まだ来ていないスペースには、自分で受付へ行くよう、案内札を置く。NCMRさんは、3Dプリントしたヘッドホンや硬貨のスタンドを用意してくれた。これと、中国で急いで買い、翌日に届いたものを持参したアクリルの展示台や横断幕などが、私たちの主な展示になった。こうした軽工業の小物の手に入りやすさにも、面白い違いがある。前もって小銭を用意することも大切だ。現金社会では、タブレットで決済するスペースもあるが、ごく少数。ほぼ現金での取引なので、1,500円、2,000円のような切りのよい価格でも、小額紙幣や硬貨が足りなければ、お釣りを出せないときが来る。

図6

私たちのスペース。

10時半、会場の放送とともに、来場者入口の扉がゆっくり開いた。開会の合図だ。ほとんどすべての出展者が、準備を終えていた。長く続く拍手が、会場の内から外へ響いた。どれだけの人が、ここを晴れの場や、音楽が響き合う戦場だと思っていたのかは、わからない。ただ、会場の内でも外でも、音楽で結ばれた両側が、真剣であることは、誰にも伝わった。もちろん、規模が大きいので、来場者にとっては一苦労だ。早く入って、目当てのミュージシャンのスペースへ行こうと、ずっと前から並んだ人たちは、足を止めない。

事前の告知と、YUKUE Recordsなどの友人の紹介のおかげで、まっすぐ私たちのスペースへ来る人もいた。いちばん早く反応してくれたのは、歌声合成のレビューの最前線にいる人たちだった。中国の同人音楽に興味があるという日本の方は、アルバムの大半の種類を買ってくれた。その後には、会場のマスロックとエモの作品を、すべて集めようとする人が来た。もちろん、異国で出会う同郷の人もいた。一人とは、互いに中国人だと気づくきっかけがなく、ずいぶん長く英語で話した!知らない環境で得る関心やつながりは、数こそ少ないが、いろいろな方向に伸び、普段の認識の壁を越えることが多い。

出展以外のことも大切だった。NCMRさんの紹介で、LUCY LOVE recordsのおかいものPPさんに協力してもらい、『虚拟之声(仮想声)』国際版の日本での通販も、会って相談し、決めることができた。残る問題は一つ。売り上げをどうするか。今回は、すべて自分と友人のための同人アルバムの購入に使い、中国へ持ち帰った。

Chapter. 7 Re: Mix

出展の用事がひと段落した、午後2時半ごろ。会場を回って戻った私は、Camelotsさんを探しに行こうとして、私を訪ねてきた本人と、スペースで鉢合わせした。共通の言語は英語、その次が日本語だ。私は日本語を聴いたり読んだりできても、話すのは苦手なので、彼が日本語で話し、英語で短く説明を添え、私はその逆をする形で、十数分話した。似た思いから生まれた『合成音声のゆくえ』と『虚拟之声(仮想声)』が、互いを知る入口だった。そこから、歌声合成の独立した音楽について、少し話を広げた。

最初の話題は、二つのアルバムの違いだった。人数からして大きく違う。『合成音声のゆくえ』は、一枚に十数人以上が参加することが多い。『虚拟之声(仮想声)』は一枚に3人だ。Camelotsさんは、音楽は多様性にあるので、歌声合成のなかの、できるだけ異なる声を集めたいと言った。私は、作り始めたころ、中国ではそうした声がまだ散らばっていたので、まず少人数のクリエイターを、深く紹介したかった、と話した。収益の分配についても話した。実際、『合成音声のゆくえ』の発行数は多くなく、分けられる収益は、ほぼ象徴的な額だという。一方、『虚拟之声(仮想声)』では、一人につき最低1,000元の収益を保証している。これは、両側の歌声合成の音楽環境と関わる。日本では、それぞれが歌声合成に限らない音楽活動をし、そこから音楽の仕事へ進む機会もある。歌声合成は、広くACGのサブカルチャーという範囲を少しずつ出て、音楽、さらには主流の音楽の一部になりつつある。一方、中国では、歌声合成から始めた音楽に、まだ仕事の機会が少ない。歌声合成の創作で、その創作自体を支えられず、認識のずれが、妨げになることさえある。だから、収益、たとえ物質的な報酬だけでも、その捉え方は違ってくる。私も、クリエイターにとって1,000元が大きな額ではないことは、もちろんわかっている。でも、「あなたの音楽も、真剣な成果として扱われ、いつか暮らしを支えるものになる」という感覚を、多少は届けられる。それは、とても大切で、優先すべきことだと思う。

そこから、「つながり」の話になった。アルバムを作るのは、異なる人々を結ぶためでもある。音楽の多様性を、さらに知り、求めるため、Camelotsさんは、日本の外の人とも、もっと接したいと思ってきた。最近はVRChatに夢中だという。仮想世界で会う世界各国の人たちが、思いがけず、みんなVocaloid文化を知っている。中国や韓国の歌声合成の音楽は、盛んに育ち、多くのクリエイターが、作品とともに外へ伸び、世界の視野に入っていく。一方、日本のクリエイターは、まだ内へ伸びているようで、そこに、ずれを感じるという。私も、自分の投稿企画や、周りで作っている雑誌『声镜(ボカガミ)』が、世界各地の歌声合成のクリエイターを知ろうとしている、と話した。他方、彼の友人たちは、「中国のアニメイベントへ招かれても、まるで日本にいるようだ」という。外国の人が、思いがけないほど深く自分たちを知り、日本語に合わせて迎えてくれるからだ。日本の音楽のクリエイターは、「自分たちの音楽さえあればいい」という繭に閉じこもっているのかもしれない。「その内向きの姿勢は、日本の音楽への心配や不安になりますか」と聞くと、「不安というより、音楽は、本来そうあるべきではない」という答えだった。私が共感したのは、視野を開き続ける、その考え方だ。ただ、見方を変えれば、外へ探り続けているからこそ、私たちは「公海上」で出会えたのかもしれない。ここにも、一種の生存者バイアスがあるのだろうか。

図7

贈り物にした、私の焼いたクッキー。

最後にCamelotsさんは、いつか自分たちのアルバムも、海の反対側へ持っていく、と言った。中国のファンが、海外の即売会へ行き、アルバムを代理購入する話もした。海を飛び越え、たくさん持ち帰り、すぐ中国へ戻る。「一度に何枚も持っていくので、初めは少しびっくりした!」。少し考えて、私は言った。海外には、クリエイター本人の知らないところで、音楽を愛し、みんなの曲を聴く人が、本当に、本当にたくさんいる。どこから来たクリエイターでも、それは同じなのだ。

そんな「熱意」は、海を越えて共通している。その熱意が、『合成音声のゆくえ』を通じてこちらへ届き、私に『虚拟之声(仮想声)』を作らせ、海の向こうへ運ばせた。そして『虚拟之声(仮想声)』を通じてCamelotsさんの心を動かし、幾つもの隔たりを越える対話につながった。

図8

Camelotsさんから頂いた新刊
『合成音声のゆくえ4』

Chapter. 8 歌声合成のアルバムを一枚、海の向こうに残す

春の週末は、七輪焼肉安安での打ち上げで終わった。食卓に帳簿のノートを広げて計算する。『虚拟之声(仮想声)』と友人の作品を合わせ、持参したアルバムは80枚。会場で約30枚売り、残りは通販の在庫として置いてきた。その一方で、ラップを幾重にも巻いて、自分で中国へ持ち帰るのは、たくさんの新しい海外の歌声合成アルバムだった。

すべてがデジタルになった時代、初めからデジタルのなかで生きてきた歌声合成にとって、アルバムという物の媒体は、音楽を複製し、配るという、当初の意味を失っている。このプラスチックの円盤とともに運ばれ、植えられるのは、生まれた土地で形を取った、しかし異郷で限りなく育つ文化だ。土地に根ざした音楽が生命力の源となり、世界を訪れる客として、空気へと蒸発し、広がり、目の前の色を満たす。

歌声合成の姿は、あなたが観測し、作る姿である。その姿を豊かにするために、いまできることが一つあると思う。文化の深海の巨獣を育て、その腕を橋にして、独立した新しい声が、どの水域でも育つようにすることだ。

いろいろな歌声合成に出会いたい!歌声合成の独立音楽レーベル「EchoBottle」を運営中——。