情報爆発の時代に生まれる、新しい懐古
執筆:s62

非对称集(非対称集)の参加作として、変拍子は、かすかな歴史の感情と、重く冷ややかな隠喩をつなぎ、釣り合わせる梁になっている。诗岸の声も、ちょうどよい柔らかさと、眉をひそめるような響きで、合成音声として、情報爆発の時代の新しい懐古を、歴史を踏まえて歌い語る。これほど深く、内省的な作品が、いまのアクセス数の論理のなかで、もっと広く注目されるべきなのか、私にはわからない。ただ、曲の問いを考える人には、誰にでも聴く機会があるべきだと思う。
ここでは主に、言葉の面から、「颐和园(頤和園)」への私の理解を述べたい。音楽にも語ることは多いが、自分の力の限界もあり、ひとまず触れずにおく。
QUOTE45松木の回廊と鉄の牌楼
漢白玉の手は未だ 夕焼けの動揺に振る
夢醒める頤和の景は 歌うように
細かな声と 朦朧の仏香を嚙みしめる
頤和園の景物を、そのまま導入にすることで、聴き手の視覚的な想像が、一瞬で開かれる。建物や素材のイメージは、永く、硬いものでありながら、解きほぐしきれない、動く感情を与えられている。漢白玉は、情を込めてQUOTE46夕焼けの動揺に振る。景色の移ろいにも、歴史の震えにも、別れを告げる。歌う景色、ぼんやり漂う仏香も、すでに全曲へ、深く、縹渺たる雰囲気を敷き広げる。
QUOTE47銅はただ一つ 埋める場所
石膏の塊は 空漠たる海に砕け
真空に眠る 無声なる昆明湖の脈
永定河の消えた波は 夢にもない
昨日のように
前の節が、物に別れの情を与えたのなら、この節の緊張は、物質の性質そのものにある矛盾から生まれる。硬い銅が、埋葬するための柔らかな土になり、安定した石膏が、海の上で土塊のように砕ける。昆明湖は真空のなかで静かに眠りながら、脈打っている。そこには、一つの事実が示される。物は永続し、同一であるが、人の与える形は、偶然で、脆い。昔の人々の跡は、後者にしか託せない。だから、造られた物は、波のように消える運命を、一方へ進むしかない。昨日もそうで、今日も明日も同じだ。焼失と再建を経た頤和園の歴史自体が、「埋めること」と「再生産」の歴史なのである。漢白玉が、外に現れ、手を振る姿なら、銅は、現象という土地の下に深く沈む、内に秘めた歴史の真実かもしれない。物語の廃墟に残る、最後の確かな証拠だ。
QUOTE48銅はただ一つ 埋める場所という一行から、中国の現代詩を少しでも知る聴き手は、すぐ海子の「亚洲铜(アジアの銅)」を思うだろう。
QUOTE49アジアの銅よ、アジアの銅よ
祖父はここで死に、父はここで死に、私もここで死ぬだろう
お前は、人を葬るただ一つの土地
作者は、頤和園の銅の部材を、海子が古い土地と農耕文明の象徴にした「アジアの銅」と結びつける。それによって、この数行にも、もとの詩のような民族的な寓話の性格が生まれる。歌の頤和園は、草が生え、川の流れる平原のように広く、時間においては、民族の系譜を貫き、先秦の青銅器時代から今日まで続く、歴史の器となる。一人ひとりの生も、最後には、この黙した確かな文明の基調へ流れ込む。こうして、悲観的な消散は、逆に、黑格尔(ヘーゲル)のいう世界精神(Weltgeist)が流れる過程とも見られる。
サンプリングされた部分は、1950年代に撮られたドキュメンタリーから来ている。封建社会の崩壊と、近代社会が全面的に成立する時期の、ほぼ中間に当たる。この音は、過去と現在をつなぐ要として、ちょうどよい位置に置かれている。聴き手の注意に、現代の音の印象から歴史へ向かう、勢いを与えるのだ。
QUOTE50峰は集い
波は怒り
湖光山色
波瀾立たず
山河表裏
清漪浮き
宮も楼も
水底に眠る
そのまま 風に消える
ここでは、典故を使いながら、素早く場面を切り替える。伝わってきた言葉と、現実の景色も、互いに浸透する。QUOTE51宮も楼も/水底に眠るは、直接には昆明湖に映る姿を指し、同時に、記憶の底へ沈んだ、歴史の証人としての物を暗示する。
QUOTE52斑な回廊の修繕を隔て
楼閣と山水の形を 再生産する
残された石舫は なお佇み望む
草木さえ心を持ち 慌てる
QUOTE53楼閣と山水の形を再生産するからは、古代の庭園が生まれた、初めの動機を思い出す。「天を移し、地を縮め、君の懐に収める」ことだ。車や馬で行ける範囲に、山や海、川を巧みに模し、空間的には届かない景物を、私的な視界へ取り込む。清の皇族が頤和園に入るとき、無意識に見たかったのは、昆明湖や西堤六橋だけではなかったかもしれない。一生、自分の目では見られないかもしれない、杭州の西湖、白堤、断橋を、そこに見たかったのだろう。初歩的なシミュラークルともいえる。しかし、物と空間そのものとしての頤和園は、長い時間のなかで、多くを記録してきた。乾隆の時代から、慈禧の治世、近代の戦火まで。園内の物は、人よりも長く変化を見届ける。国家や民族にかかる巨大な運命も、名もない具体的な人々の、小さく、険しく、代々続く運命も。
一方、今日、「楼閣や山水の形を再生産する」という言葉を聴けば、現代の文化財修復と観光開発を、直接描くものとも読める。この「再生産」は、建造の初めの目的とは違う。古人が触れようとしたのは、空間的に届かないものだったが、私たちが向き合うのは、時間的に届かないものだ。今日、頤和園がここにあるのは、かつてこの場所が見届けた、過去の物語を、空間のなかで固め、まとめるためである。記号の通時的な同一性を強め、現代の生産と消費の循環へ取り込む。「古いものを、古い姿のまま修復する」という考えも、その表れだ。空間と記号のつながりが失われたため、模倣の対象だった西湖の景色は、もうそこにいない。頤和園自身の景観が、完全に取って代わる。さらに、歴史の指示対象までも、多くの現代の観光客が、自分たちの市民生活の姿勢に合うものを選び、わずかな断片だけが園に残る。それは、写真を撮り、訪問を記録する頤和園の景観のなかにあり、さらに、実在する頤和園の代わりとなって、「シミュラークルの二乗」になる。現代の修復や維持、観光資産の開発は、単なる文化財保護ではない。無数の人々の出入り、撮影、語りも、ただの観光ではない。社会的な空間を新しく生産し、再生産する、複雑な過程の一部なのだ。
人々の柔らかな視線が通り過ぎる物たちは、作者の精神的な体験のなかで、どれも語りかけては、口をつぐむ。QUOTE54残された石舫は、いま、観察する側になる。私たちが石舫を見るとき、石舫も、私たちと現代の生活世界をQUOTE55なお佇み望む。この視点の逆転が、石舫、さらには庭園全体に、主体性を与える。これは、造られた物の省察だ。人に削られた物質、永続する物へ、意図して加えられた束の間の形。それらが、束の間であること以上に、加速し続ける現代文化を省み、現代人の修復と再生産を、QUOTE56草木が慌てるいまを見つめている。ここまで聴くと、不安で落ち着かなくなる。呉夢窓が庭を訪れて書いた、「情を持つ花影と欄干、鶯の声と門の小道が、私を一瞬、立ち止まらせる」という言葉のようだ。彼の訪れたのは「廃園」だった。今日の頤和園には、朱塗りの柱や彫られた垂木が残り、観光地として毎日、多くの人を送迎する。それでも、見届けられた歴史、物に属する部分は、一瞬も立ち止まらない、駆け足の観光の外で、いまも「廃され」ている。韩炳哲のいう系列的知覚(serielle Wahrnehmung)に閉じ込められている。それが、QUOTE57漢白玉に囚われた 鼓動する心臓なのだ。
QUOTE58北京は蒸発している
消えゆく彼方の眺め
炎夏の熱波が 広がり満ちる
何か本質的なものが、消えつつある。夏の熱気のなかで、北京は、街は、遠方は、蒸発していく。残るのは、一方向の時間を転がり続ける、春と秋だけかもしれない。移ろう物と向き合うときの、私たちの震えも、ほとんど消えかけている。作者は、その震えを捉えようとしているのだ。
QUOTE59北京は蒸発しているという一行は、あるグループのチャットの記録から、そのまま取ったものだと、作者が教えてくれた。

杭州の堂々とした現代のスカイライン。過剰な光が、水滴のあいだを貫き、街全体が消えていくように見える。密集し、技術に満ちた杭州が、ただ熱気を逃がすように、隋唐以来の魂を、新しい身体から追い出し続けているかのようだ。もちろん、武林や湖浜を日々行き来する現代の住民の多くは、「私たちの現代生活を守る」ことのほうが大切なのかもしれない。とうに土になった小市民と、古臭い文人から作られた魂が、最後にどこへ行こうと、一瞥に値する話ではないのだろう。私は、この魂に残ってほしい。でも、時代を後戻りさせたいわけではない。ただ、今日、近代性を少しも省みないままで、厳子陵や林和靖のように、自由に、自らのために生きられるのか。马尔库塞(マルクーゼ)のいう「一次元的人間」が、悲しい境遇だとわかるのか。それを考えてほしいのだ。
こうした考えは、北京が蒸発するという一行を聴いて、思考が広がるときの、私の感覚にも当てはまる。
QUOTE60ひとひらの花
万寿山頂で 散りゆく
再帰する 春と秋の彼方へ
蒂並び、同じ胚の蓮
ひとつは標本 扇に描かれ
ひとつは折り返し 泥池へ沈む
QUOTE63仙山、瓊閣は見え
見えず 前年 秋月の朗^{{あかる}}き
漢白玉に囚われた 鼓動する心臓
先ほど、石舫の二行を説明しようとして、私たちが石舫を見るとき、石舫も私たちを見ている、と述べた。見られる庭園の物が、逆に庭園の目でもあるなら、QUOTE64漢白玉に囚われた 鼓動する心臓は、現象の下に隠れた、深く、儀礼的な歴史の知覚だ。海子の詩で「闇のなかで踊る心臓」は、最後に月となる。この曲も、閉じ込められた心臓を歌って終わり、海子の「心臓」と、永続する質感のつながりに応える。この最終行は、全曲でもっとも心を揺さぶるイメージだ。歴史は、本当には死んでいない。物質に閉じ込められ、弱くても、執着で、頻度を保って脈打ち、知覚されるのを待っている。